【父へ】

父は2年半前に亡くなっている、今でもたまに思い出すが、成人前に家を出てしまっていた俺は強烈に記憶に残っている思い出などはあまりないのだが、この歳になって思う事を書いていきたいと思う

尊敬

やはり母同様に、結局尊敬しかない。裏で何をやっていたとか、母に酷い事をしていたのかもしれない⦅浮気とか⦆本当はいくら借金があったとかは、俺は知りようがないし、もはや知りたくはない。

しかし結局4人の子供を育てたし、優しかった印象しか残っていない。本気で怒られたのは一回だけ、母を小馬鹿するようなことを言ったときに思いっきり殴られた、たしか中学生ぐらいの時にだ、それも今思えば母の事で怒ったと思うとカッコいい。それ以上に悪い事は沢山したが父に怒られた記憶はない。

今思うと、もっとコミュニケーションをもっと取っておくべきだった。そこは本当に後悔しかない、若気の至りで家を出て遊ぶことしか考えていなかった俺は、東京に出てからは殆ど連絡を取らずに過ごしてしまった。たまには連絡はあるのだが、今度飲みに行こうといった会話ぐらいしか覚えていない。それも結局行かなかった、行けなかった。

サッカーが本当に好きな人で、幼少の頃は半ば無理やりにやらされていたが、結局今も俺はサッカーが大好きで本当にやっていてよかったと思う。小さい頃はよく一緒にやったし大人の試合を見に行った。そうだ親父との思い出はほぼっサッカーかもしれない。毎週やっていたし、会話も殆どサッカーだった。他の父親がどういうのが父親かは知らないが、自由に生きさせてくれていたのかもしれない。こうしろとかは言われた記憶がない。良いか悪いかこう育ってしまった。

上手く文章には書けないが、結局好きだったんだろう。死ぬまで気づかない俺は大馬鹿だ。誰が何と言おうと誇りだし尊敬している。

思い

やはり、いなくなると後悔が大きく残っている。父がどうしたかったかはわからないが、少し大人になってからの思い出が無さすぎる。ただとにかくかっこ良かったし、俺が誕生日プレゼントで買ったサッカー用のジャージをいつまでも気に入って着ていてくれていたらしい。棺にもそのジャージ姿で入っていった。嬉しかったが何でもっと買ってあげなかったんだと後悔もある。金があったときは湯水のように使ってしまって、無い時はプレゼントを贈らない年もあった。

只、それは父の血を引いてるのかもしれない、借金で母が手に焼いていたのは知っている。そこは受け継ぎたくはなかったが親子だからね。

良いとこどりは出来ないが、父と母の子なんだとは最近思う。もうこれはどうしようもないがガキの頃は嫌でしょうがなかったが今では、心底良かったと・・・棺によく着たジャージを着てくれてありがとう。それが本当の一番いい思い出です。

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